こんにちは、あるいは初めまして!週末ピクニックです。
こちらは「アイドルオタクAdvent Calendar 2025」23日目の記事です。今日を入れて残りあと3日!ここまで執筆した方も読んでくださった方も、みなさんお疲れさまです。昨日の楽しい夕べさんの記事はこちらから!
この記事を読んだ人に覚えて帰ってほしいこと。それは
「中島健人とはレイチェル・ベリーである」
です。
最初に言っておくけど、これはわたしの願望を詰め込んだ解釈でありほとんど二次創作です。でも同時に、これはわたしなりにまじめに考えたわたしのケンティー論です。なお、ケンティーの発言等についてはできる限り出典を明記したかったのですが力尽きて無理だったので後日追記するかもしれないし、しないかもしれない。
前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
- はじめに:ケンティーとレイチェル・ベリー
- 「ふまけん」という対比軸
- 主人公バイブス
- スポットライトへの渇望 ― 主人公の本質
- 星としての自覚
- 教室から飛び出したまま、走り続けている
- 終わりに
- 余談:ケンティーはグリンダのpopularを歌ってくれ
はじめに:ケンティーとレイチェル・ベリー
ケンティーこと中島健人さんは現在31才のソロアイドル。中学三年生の春にアイドルの世界に飛び込んでから今日までずっと、アイドル街道を駆け抜けてきました。2024年3月までは5人組アイドルグループ・Sexy Zoneのメンバーとして活動し、以降、ソロアイドルとして活動しています。だいぶ端折りますが現在の彼の活動はこんな雰囲気↓。最高だから見て。
一方レイチェル・ベリーとは2009年から2015年にかけて放送されたアメリカのドラマ『glee/グリー』の主人公。日本の公式サイトによる簡単なあらすじはこちら。
地味で冴えないグリークラブの生徒たちが先生と共に歌とダンスを通して成長する涙あり、笑いありの感動物語。見どころは、80年代ポップスからヒットまでストーリーに合わせて新アレンジで披露される楽曲と見事なパフォーマンス。
glee/グリー シーズン1 | 20th Century Studios JP

ひと言でいうとアメリカの田舎を舞台にした学園もののミュージカルドラマです。当時アメリカで社会現象並みにヒットして、キャストによる全米コンサートツアーが行われたりした。日本でも一時期、Eテレなどで放送されていたので、記憶にある人もいるかもしれない。今あらためて見ると、さすがにぎょっとする描写や問題を含むエピソードも多い。それでも、マイノリティの表象という点において、このドラマが当時果たした役割は非常に大きいし、今でも評価できる部分が大きいと思う。当時このドラマに支えられた人は多いんじゃないだろうか。わたしの人生の芯にも深く食い込んでいるドラマです。
日本のアイドル・ケンティーと、アメリカの田舎の高校生・レイチェル・ベリー。一見すると、まったく共通点のなさそうなこの二人を、それでも「同じ存在だ」と感じてしまったのには、はっきりとした理由がある。
「ふまけん」という対比軸
その理由とは、ほかならぬ「ふまけん」だ。
ふまけんとは、菊池風磨さんとケンティーをまとめて呼ぶときの愛称だ。ご存じの方もいると思うが、二人はかつて、Sexy Zoneで12年間活動を共にしていた。さらに言えば、デビュー前、ほとんど同時に事務所に入り、グループ結成前から解散までの約15年間、まだ何者でもなかった頃からシンメ(センターを挟んで左右対称の位置に立つ2人)として、同じステージに立ち続けてきた関係でもある。
ただ、この二人は、あまりにも違う人間だった。
違う人間すぎて、お世辞にも「仲良し」や「友達」と呼べる関係には見えなかったし、実際そうだったのだと思う。
それでも、いや、そうだからこそ、ふまけんが並んだ時に放つ独特の緊張感と輝きにわたしは強烈に惹かれてきた。その理由について考えると、それはやっぱり二人の対比があまりにも鮮やかだったからだと思う。
教室の中心に立つ人/立った場所を中心にする人
わたしが2人の対比を考えるとき、よく学校の教室を思い浮かべる。
ふうまは、クラスの中心にいる人だ。
本人の意思とは関係なく、自然と人が集まってくる。人望があり、人を惹きつける魅力がある。その人がボールをもって校庭に出ればみんなドッチボールをやりたがるし、その人が教室に戻ると、なんとなくみんなつまんなくなっちゃってばらばらと解散する。
きっとどのクラスにも一人はいたあの子。あれがふうまだ。
一方でケンティーは、学校の人気者ではなかった。
意外かもしれないけど、よく考えればそれは当然だ。良くも悪くも、ケンティーはずっとケンティーだったからだ。
アイドルの仕事に憧れを持ってたから、歌ったり、踊ったりしてたら『なにそれ?キモっ!』みたいに(言われた)
中島健人 中学時代の思い出語る「3年生の最後の実験はアイドルになること」 | 東スポWEB
想像してほしい。15年前の時代の学校で、いわゆる”ジャニーズ*1”のアイドルを夢見て教室で踊っている男子がいたら、そりゃあもう、学校という小さな社会の中では浮きまくっていただろうと思う。でも、ケンティーは周囲に人が集まっているかどうかとは関係なく、「自分こそがスポットライトを浴びる人間だ」と信じられる人だった。
上記で引用した記事内でも触れているが、教室で浮いていたケンティーは「俺にこの教室は狭いかも」と思って事務所に履歴書を送ったのだ。
ふうまは教室の中心にいる人。
ケンティーはたとえそこが教室の隅でも、自分のいる場所がスポットライトの中心だと思える人。
少なくともわたしは、この二人をそう解釈している。
主人公バイブス
ふまけんの対比についてあれこれ考えていたときに浮かび上がってきたケンティー像に、どこか既視感があった。
その正体を探るように記憶の糸を手繰り寄せていったとき、思い浮かんだのが『glee』の主人公、レイチェル・ベリーだった。
『glee』第1話の冒頭数分を見ただけでわかるが、レイチェル・ベリーはスクールカーストの最底辺にいる。学校の人気者たちからは、はっきりと「Loser(=負け犬)」と呼ばれ、過剰な自信と自意識、そして十代特有の「夢にひたむきであること」そのものを理由にイタい奴として嫌われている。友達もいない。
また、アメリカの学校社会ではグリー部自体がダサい存在だ。チア部やアメフト部といった花形とされている部活と比べて、グリー部は見下される対象であり、そこに所属しているというだけで、学校内ヒエラルキーの下位に置かれる。
それでも、レイチェルは自分にずば抜けた歌の才能があることを自覚している。そして、自分こそがスター(になれる)だと信じています。
学校で浮いていたケンティーと、嫌われ者だったレイチェル。
アイドルになりたくて教室で踊っていたら馬鹿にされたケンティーと、自分の歌唱動画をネットに上げたらチアリーダーの子たちから悪口コメントを書き込まれたレイチェル。
けれども自分をスターだと、自分こそがスポットライトにふさわしいと信じたケンティーとレイチェル。そして二人とも、実際に夢をかなえた。
どうだろうか?
「中島健人とはレイチェル・ベリーである」説の輪郭が浮かびあがってこないだろうか?
長々と書いたが、端的に言えば二人はともに非常に強い【主人公バイブス】を持っている。それはレイチェル・ベリーがドラマの主人公であること、そしてケンティーがアイドルとして成功していることとは本質的には関係がない。【主人公バイブス】とはたとえ周囲が自分をそう扱わなくても、「自分は主人公だ」と信じられる力を意味している。
スポットライトへの渇望 ― 主人公の本質
レイチェル・ベリーという人間を端的に表すエピソードを1つ紹介しよう。
それが問題よ。私は嫌われてもスターがいい。愛されるよりいいとは言わない。
でも私は―――主役になれるなら何だってやるわ
glee シーズン2 第17話『ディーバの苦悩』より
これは、グリー部内でメインボーカルの座をめぐって争った際、ライバルから「なぜいつもあなたなの? 私じゃダメなの?私の方が人にも好かれているのに」と言われたときの、レイチェルの答えだ。
レイチェルだって人に嫌われることが平気なわけではない。傷つく描写もある。それでも、「人に好かれること」より「スターであること」を選ぶ。身を引いて人に好かれることは、スターでありたいという圧倒的で強烈な欲望の前では無力なのだ。
孤立気味だった学校で「教室って俺には狭いかも」と感じ、憧れていたアイドルの世界に飛び込んだケンティーにも、通ずるものがあるのではないだろうか。そしてまたケンティーも、孤独が平気な人ではないのだ。
教室じゃ、俺はみんなと違うんだって腕組んで威張ってるんだけど、放課後一人になると落ち込んで……。
Sexy Zone中島健人 クラスで浮いてしまい、愛に飢えたおかげでジャニーズに入ったことを告白 | AERA with Kids+
星としての自覚
わたしの中で「中島健人とはレイチェル・ベリーである」説がじわじわと輪郭を持ちはじめていた頃、ケンティーが『JUST KENTY☆』という曲を発表した。
この曲は、ケンティー本人が作詞した、いわばファンソングだ。そしてその内容は、驚くほど徹底して「自分は星である」という自覚に満ちている。
光る星達 sorry よそ見はできない star
輝きすぎてごめんってほかの星に謝ってる!?そうだね、ほかの星がかすむほどの輝きだもんね!!!!!
i just Kenty
Love Kenty of my star
目が合う二人の世界で
だから今 catch it! I'm fallin' 見てて
Let's dance! dance! 輝く 一番の君を
己を空から降る星に例えて、自分を捕まえて、とファンに向かって歌っている。天才か?
I'm like a star 眩しいくらい
もう shining only for you
ケンティーって、わたしのために輝く星なんだ……
ファンがアイドルを星に例えることはこれまでもあった。
けれど、アイドル自身が、ここまで迷いなく「自分は星だ」と語るのを、わたしはほかに見たことがない。
…………ん?
いや待て。
私 名前を書く時、いつも星のシールを貼るの
笑われるけど 私には重要
自分はスターだって象徴だもん

いた。
いや、レイチェル・ベリーはアイドルではない。けれど、自分を「星=スター」だと疑いなく確信している人間が、もう一人、ここにいた。
自分の曲名に『JUST KENTY☆』とつけるケンティーと、「Rachel Berry☆」と署名するレイチェル。
ここまで共通点を拾い集めながらも、どこかで「これは自分に都合のいい解釈かもしれない」と思っていた。しかし、各々が自分の意思で名前の後ろに☆をつけていることに気づいたこのとき、わたしの中で「中島健人とはレイチェル・ベリーである」説は、ただの比喩ではなく、確固たるものになった。
教室から飛び出したまま、走り続けている
中学時代に教室を飛び出したケンティーのメンタリティは現在に至るまでブレずに続いている。
Sexy Zoneはいろいろな事情が重なりその屋号を下ろして、現在はtimeleszとして活動している。ケンティーはもう、そこにはいない。グループ改名と同時に卒業したのだ(前半で触れたふまけんは、出会って以降、ここで初めて別の道を歩くことになる。)。
発表直後には、この決断には多くの批判や中傷が向けられた。本人の意図とは違う形で受け取られた部分もあった。その代表例が、「グループにいたらできないことって何?」「ケンティーってアイドルやめたの?」という言葉だ。
正直に言えば、前者については、わたし自身も最初はそう思った。けれど、その後始まったソロ活動を見て、すべて腑に落ちた。このクオリティを、この濃度で出力し続けるのは、持てる力を全ベットしないと不可能だ。
後者の「アイドルやめたの?」という問いに対しては、ソロ活動開始後、初めてのライブの千秋楽で、ケンティー自身が答えをくれた。
俺一生アイドルだわ。死ぬまでアイドル。死なば諸共だよ。要するに、ずっとアイドルの俺を見てろ、ってこと。
2025/1/19 KENTO NAKAJIMA 1st LIVE 2025“N/bias” 千秋楽公演より
1万人の中心でスポットライトを独り占めするその姿は、まさに孤高に輝く星だった。あの光景はわたしのまぶたに今も張り付いている。
少し話が逸れるけど、グループを卒業するだけでアイドルやめたんか?とかどうせ結婚すんだろ、と言われる世界なので(同時期に熱愛報道が出ていた)、わたしはやっぱり『絶対アイドルやめないで』みたいな曲をアイドルに歌わせるのもその受容のされ方も気持ち悪くて嫌だ。(”思想”をねじ込ませていただきました。話を戻します。)
SexyZoneがあのまま続いていたらなぁという気持ちはいまだにある。でも同時に、グループから羽ばたいた30才のケンティーに、教室を飛び出した15才のケンティーとの、はっきりとした人生の連続性を感じる。
グループ卒業の相談を受けたふうまろが「おれがいちばん止めるべきなのかもしれなかったけど、そうできなかった」と言っていた理由が、わかる。ちなみに(ちなみに?)ふまけんには人間の感情の最も濃ゆい部分がすべて詰まっている。それについてもまたどこかで話したい。
そしてわたしはこうも思う。
ケンティーは死ぬまでアイドルって言ったけど、きっと、たとえ死んでもなおアイドルであり続けると思うよ。ケンティーを知る人間が全員死ぬまでケンティーはアイドルだ。だってケンティーは星だから。星は消えてもその光は、ずっと地球に届き続けるから。
終わりに
「中島健人はレイチェル・ベリーである」と確信したとき、わたしは思わず笑っちゃった。だって、十代のころに擦り切れるほど見ていたドラマと、30代になった今夢中になっているアイドルが本質的に同じなんだもん。
わたしの魂の形って、変わらないんだな。そう思えたことが、不思議とうれしかった。
ちなみにこの説をさらに敷衍すると、「Sexy Zoneはgleeである」という話になります。それはまた別の機会があればどこかで披露したいと思います。Sexy Zoneってほんとうに最高のグループなんだよ!
今回記事を書くにあたってgleeをちょこっと見返してみたんだけど、レイチェル・ベリーってうざくて、自己中心的なところも含めて唯一無二のキャラクターだと改めて感じ入った。「Racel Berry quotes」等で検索すると、彼女のパンチラインが山ほど出てくるけれど、そのどれもがあまりにもレイチェル・ベリーだ。
“The sun is not the biggest nor the brightest star in the sky. It’s just the closest. There are bigger, better, brighter stars. That’s what I am. I will be the biggest star of them all.” – Rachel Berry
(訳:太陽は空でいちばん大きい星でも輝いている星でもない。ただ近くにあるだけ。より大きくて素敵で輝いてる星たちがある。それがわたし。そうした星たちの中でもわたしが一番大きな星になるの。)
Best 20 Rachel Berry Quotes - Glee - NSF News
ちなみに(ちなむな)、レイチェル・ベリーを演じたリア・ミシェルにも強烈な【主人公バイブス】があると思っている。というか、レイチェルというキャラクター自体が、リアありきの当てがきで、ほとんどリアそのものなんだよね。
glee放送終了から数年後、リアはブロードウェイで名作ミュージカル『ファニーガール』の主人公を演じている。そのとき歌っていたのが『Don’t Rain on My Parade(私のパレードに雨を降らせないで)』という曲だ。リアのための曲か?というタイトルだし、パフォーマンスもまるでリアの人生そのものって感じで圧倒的だ。
不思議なことに、この曲を聴いていると、ケンティーにもとても似合いそうだな、とも思ってしまう。
ちなみに同曲はgleeシーズン1の前半の山場でもレイチェル(=リア)がカバーしています。
さて、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
ケンティーの魅力が少しでも伝わっていたらうれしいです(そういう記事だったの!?)。
いつか一人で満員の東京ドームに立つケンティーを見たいな。
明日24日、クリスマス・イブの記事はしろまつさんです。「あんさんぶるスターズ‼︎と二次元アイドルの話」というテーマで書いてくださるようです。お楽しみに!
余談:ケンティーはグリンダのpopularを歌ってくれ
ここからは完全に余談です。言いたいこと全部言わせてください。
本編で【主人公バイブス】の話をしましたが、このバイブスを体現している人物が、もう一人います。それが、ミュージカル『Wicked』*2の主人公の一人、グリンダです。
Wickedと言えば、今年3月に映画*3が公開されて話題になりましたね。
そのグリンダが歌う『Popular』という曲を、ケンティーに歌ってほしすぎる!
作中でのグリンダは「人気者」として描かれているけれど、わたしはこの人気者描写はグリンダ自身の自己認識(あるいは自己演出)なんじゃないかと思っている。実際のところは、教室の隅で「わたしは人気者よ」と胸を張っている人。そう思うとかなりレイチェル・ベリーだしかなりケンティーじゃないだろうか。
それに、ケンティーとアリアナ・グランデ*4って、(主人公バイブスとはまた別の文脈で)近似にいる人だと思っている。だからますますグリンダの「Popular」を歌うケンティーを見たい。だって!絶対!似合うじゃん!
